Ryuji's room / 放射線科専門医 佐志隆士

アメリカ留学記 1-10 ~艱難辛苦の米国留学~

-悲しかったり、楽しかったり、いじけたり、頑張ったり-

13 “差別”

留学数年前のことです。放射線学会の頂点である北米放射線学会は毎年シカゴで開催されますが、ちょっとしたpartyに参加するのに宿泊していたホテルから会場まで歩いて行くことにしました。

夜間の独り歩きは危険なことは知っていたのですが、根が貧乏性である事と英語で運転手に行き先を告げるのが億劫だったのでタクシーを利用しませんでした。

ホテルを出た時はまだ明るかったのですが、すぐに薄暗くなってしまいました。ふと気がつくと“通り”には、私以外、誰一人いません。そこに前から大柄で身なりのよくない黒人男性が歩いて来ます。シカゴのホテルで拳銃を突きつけられた元同僚の話が頭をよぎりました。

私は氷つくような恐怖を覚えました。米国では日中は安全なオフィス街でも夜間は危険という場所もあります。どうやら私はそういう“通り”に入り込んでしまったようです。さて、前からやってきたプロレスラーのような大柄な男性は何事もなく私の横を通りすぎて行きました。

私の恐怖は杞憂に終わりましたが、偶々運が良かった可能性大です。ところで、相手がスーツを来た白人男性なら恐怖を感じなかったと思います。もっとも暗くなってからはスーツを着るような人は歩かない“通り”であったのに違いありません。私の心の中には“黒人は怖い”という“認識”があったのです。

さて、留学のためにDurhamに到着してからアパートに引っ越す前の一週間はMs. Takiのお宅にhomestayさせて貰っていたのですが、Taki さんの家には毎日のようにDuaneという黒人男性が遊びに来ていました。黒人は英語で Blackです。差別用語ではNegroです。

Ms. Takiさんは日本からやって来てからさんざん苦労したこともあり“人種差別”も“性差別”も大嫌いです。あの黒人のDuaneと言うと急に怒りだしまた。 Blackという言葉も使ってはいけないと言うのです。しいていうならnative Africanと言うとのことですが、“公”にはそもそも肌の色に言及すること自体が米国社会ではタブーになっていました。

たとえば米国ではテレビ・映画には一定の割合で黒人の人が登場することになっています。“本音”と“建前”があって建前の世界では“タブー”が大手を振って歩いているのです。

その後、近所のスーパーマーケットのFood Lionで買い物をしていた時の話です。床にピラミット状に高く積み上げた商品をショッピングカートで倒してしまいました。幸い周りに人はいません。こんな置き方をしている店が悪いのだから、その場をこのままにして立ち去ろうかと一瞬迷っていたその時です、かなり離れた前方から、横綱の“曙”のような雰囲気の黒人男性客が私のほうにやって来ます。

私はどういうことになるのかと気が動転しました。その黒人男性は私の所までやってくると、なんと床にまき散らかった商品を無言で積み直し始めました。私ももちろん一緒に積み直しました。積み直し終わると彼は黙って去って行きました。その時、私は"Thank you"と言えたかどうかは思い出せないのですが、私の“差別意識”の一部が一瞬にして消えさった感覚は鮮烈な体験でした。

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