Ryuji's room / 放射線科専門医 佐志隆士

アメリカ留学記 ~艱難辛苦の米国留学~

-悲しかったり、楽しかったり、いじけたり、頑張ったり-

50 危険な散歩

私が借りていたアパートはアメリカ南部ノースキャロライナ、Durhamの深い、深い森で、丘陵地の中に作られたアパート群の一角にあった。
まるでお伽の国の世界の中のようであった。
Durhamを知り尽くしたターキさんが、留学前から厳選してくれたアパートであった。留学生にとってアパート選びは大変な仕事なので、私は最初からツイテいた。アパートはDurhamとChapel hill*の中間にあり、Duke大学へは、車を40マイル(64km/h)で走らせて20分程であった。
高い木々の間から漏れ落ちてくる光の底を車で走る通勤は、何とも気持ち良く爽快であった。私はアメリカ留学の幸せをかみしめた。

私が住んでいたアパートはペンションのような木造三階建てで、丘の斜面に建てられていた。私が借りていた部屋は真ん中の階であったが、駐車スペースと連続しており、地上一階の感覚で入室できた。丘の上にあったので、見晴らしも素晴らしかった。木製のテラスに出ると森の中に点在する家屋が見え、細い小川もその中に隠れていた。アメリカの木々は背が高いので、テラスのすぐ傍でリスが遊んでいた。

各アパートには必ず煙突があったが、それはこの付近のアパートが高級であることを意味していた。365日24時間、冷暖房が全室に行きわたっていたので、暖炉を焚く必要は無かった。煙がのぼっている煙突は一つか二つしか無かった。

とある晴れた土曜日の午後、気分転換に仲良しの佐藤夫妻**の家を目指して散歩に出かけた。
佐藤夫妻はリッチで、一戸建ての平屋を借りていた。佐藤家まではおおよそ徒歩30分であろうと想像していた。方向音痴の私は、案の定、道に迷った。 森の中で迷ったと言っても、住居が沢山あったので遭難の心配は無かった。とは言え外人(アメリカ人)ばかりが住んでいるので、気楽に声をかける気にはなれず、途方にくれた。
これ以上、うろうろしていると暗くなってしまうと不安がつのった。さらに恐ろしいことに、私は便意を催したのである。私はティッシュ・ペーパー***を持っていなかったが、そんなことはどうでも良いと思える程、事態は深刻化して来た。

私は「出したい時が、出たい時、即○×○カレー・・?♪?♪」の大腸を持っている。何処でも良い、何とかズボンの外に出したかった。ここは深い森の中である。何処かに、誰からも見られない場所があるはずであると確信して、あたりを探し歩いた。ところが・・・、である。何処へ移動しても、何処かの家の窓に面しており、死角がない。さすがに治安が確保されている高級住居群である。地域が、そのように設計、工夫されていることを理解した。そうでもなければ、女性も男性も安心して散歩できないのであろう。

Duke大学のキャンパスの中でも危険な場所はあった。実際、何処かの大学のキャンパス内で発生したレイプ事件をTVニュースが報じていた。"キジを撃つ場所"を探して彷徨している内に、我がアパートに続く、見覚えのある道に運良く出た。あぶら汗が出て、蒼白状態ではあったが、限界に達する直前に、我がアパートにたどり着いた。一気に用を済ませながら、私自身と日本の名誉を保てたことに心から安堵した。まさに危機一髪の散歩であった。

*Chapel Hill
州都のRaleigh、Durham、Chapel Hillの3都市を中心にリサーチ・トライアングルと呼ばれるハイテク研究開発拠点が存在していた。Durhamはゴルフ場しかない田舎にしか見えないのであるが、 実は博士号を持つ人の人口密度が全米一高い地域であった。広大な森の中に研究所が沢山あるらしい。

**佐藤夫妻
ご主人は英語の先生で富山からDuke大学にいらしていた。とにかく優雅にアメリカを満喫なさっていらした。日頃は、別ルートを車で行き来していた。

***ティッシュ・ペーパー
予想外の事態は突然、おそってくる。人として、ティッシュ・ペーパーくらいは何時も身につけていたいものである。

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