Ryuji's room / 放射線科専門医 佐志隆士

アメリカ留学記 ~艱難辛苦の米国留学~

-悲しかったり、楽しかったり、いじけたり、頑張ったり-

39 ワシントンで桜が咲いた!

桜が咲いたらワシントンD.C.(*)に行こうと矢田先生と決めていた。 
ワシントンには、日本から贈られた桜並木で有名なタイダルベイズン(池)がある。 我々が住んでいたダーラムからワシントンまでは車で5時間程である。 三月の末に、ワシントンで桜が咲いたと矢田先生から電話があった。 矢田先生がラボを休めるのは土日だけだから選択の余地はない。週末に一泊二日でワシントンに行くことにした。 
早朝にダーラムを出発した。 いつものように車は私のスタンザ、運転は矢田先生である。 矢田先生は前方に車がいないのに何故か追い越し車線(左側)を走っている。 矢田先生にそのわけを尋ねると、日本の習慣で無意識に左を走行してしまうとのことである。 運動神経が良い矢田先生に運転は何時も任せているのであるが、くわばらくわばらである。

満開の桜の向こうにかろうじてタイダルベイズンが見えている。
私が 写っている留学中の写真中では気に入っている写真である。
自分で自 分を撮影するのは難しいから・・・
高さ169mのワシントン記念塔、エレベーターの工事中で中には入れなかった。残念。
どの建造物も雰囲気があって、街全体として調和がとれている。
日本はごちゃごちゃ。 気のせいか・・・・・

無事にお昼にはワシントンに着き、モール(**)の東端近くにある無料の駐車場に車を止めた。 タイダルベイズンをめざして、モールを東から西へと歩く。空は深く乾いた青空、桜は満開、何たる幸せ。
まずはジェファーソン記念館の中に入ってみる。 中にはジェファーソンの大きな銅像、 ジェファーソンの残した言葉のパネルがある。 
「・・・すべての人間は平等につくられている。創造主によって、生存、自由そして幸福の追求を含む侵すべからざる権利を与えられている。 ・・・・」のアメリカ独立宣言の英文を苦労しながら読んだ。 
国民として誇れる独立宣言があるアメリカを羨ましく思う。 また同時に、『原住民にライフルを突きつけ、“ここは俺たちの国だ”と独立宣言する自由、権利もあるのか』とうがった考えもわいてきた。 
さて、満開の桜並木に囲まれたタイダルベイズンの周りを矢田先生と一周する。 ゴミも屋台もない。 桜の木はさほど大きくないのだが、その数の多さが素晴らしい。 アメリカは何でも日本より一桁大きいと卑屈な気持ちになる。 リンカーン記念館、ベトナム戦争戦没者慰霊碑、朝鮮戦争戦没者慰霊碑、等々を見ながらモールを西から東へと散歩しながら駐車場に戻る。
ワシントンD.C.の郊外に予約したモーテルにチェックインをしに行く。 私が疲れ果てて、汚いモーテルのベッドの上で雑巾のように横になっていると、矢田先生がジョージタウンに夕飯を食べに行こうと言いだす。 見知らぬ道路の運転をして、矢田先生の方が疲れているはずだが、何とも元気である。私は矢田先生に抵抗する気力も無く、ジョージタウンに連れて行かれた。
ジョージタウンはお洒落なブティックやカフェが沢山ある日本の原宿・六本木という風情の街並みである。予約がある訳でもなく、ガイドブックも持っていない我々は、適当にベトナム料理店に入った。 店はほぼ満席で半数が東洋人である。 民族衣装を着たウエイトレスがとても可愛い。 ベトナム料理をはじめて食べたがとても美味しかった。 アメリカは多様性の国、南部の田舎のレストランは大抵まずいが、大都会ワシントンにはさすがに美味しい店もある。大満足であった。
矢田先生は典型的な留学生だ。タフで、欲深く、好奇心旺盛である。それに比べて私は清廉、謙虚、眉目秀麗。 そんな私でも矢田先生のおかげでワシントンの夜を楽しむことができた。 矢田先生に感謝! 明日は矢田先生お勧めのホロコースト博物館に行く予定である。

(*) 実は、ワシントンD.C.は二度目であった。富山の中学生グループが夏休みにダーラムに来た時に、世話係のターキさんと随行でワシントンD.C.に来たことがあった。 この時はケネディ大統領のお墓もあるアーリントン墓地、スミソニアンの航空宇宙博物館、アメリカ歴史博物館に行った。

(**) モールは長方形の形をした公園地帯で4kmの長さがある。 東端に国会議事堂、西端にリンカーン記念館があり、スミソニアン博物館群、ワシントン記念塔などを含む。

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