Ryuji's room / 放射線科専門医 佐志隆士

アメリカ留学記 ~艱難辛苦の米国留学~

-悲しかったり、楽しかったり、いじけたり、頑張ったり-

29 ラジオ

私が留学していた、North CarolinaのDurhamは米国南部の黒人の町であった。

南部訛りの強い土地柄で英語の聞き取りは難しいとされていたが、私はさして気にならなかった。猛烈なスピードで話すTVアナウンサーの英語も地元黒人の英語も理解出来ないことに変わりなかった。買い物であるとか、一対一の日常会話はかろうじて可能であった。画像診断の英語にも困らなかった。写真は理解出来たからである。

ただし、講義*は良く寝てしまった。問題は、米国人同士の会話である。これは地獄であった。早朝のカンファレンスに出席して、昼の講義を聴き終わる頃にはアパートに帰りたくなり、実際、帰宅し、食事をしてから、午後は図書館に籠もって、夜遅くまで一人で勉強をした。

月に一度、スタッフミーティングがあったが、これも辛かった。最初に骨軟部画像診断に関する論文の紹介を交代でする。これは事前に論文のコピーが配られるので我慢出来た。仕事や研究の話に入ると、何時の間にか、バスケットの試合や、何処かのレストランの話になり、チンプンカンプンで、飛び交う英語に逃げ出したくなった。nativeの笑い声が私を孤独にした。それでも英語を何とか聞き取れるようになりたくて、アパートにいても車の中でも、必ずラジオを聞き流していた。お昼の帰路の時間帯に「Dr. Joy Browne」という身の上相談放送を毎日やっていた。

最初は「Dr. Joy Browne」という題名だけしか聞き取れなかったが、その内に徐々に内容が聞き取れるようになってきた。実にくだらない相談をしている。
相談者:「私の彼女のあそこ大きい」、Dr. Joy:「彼女のあそこが大きいのではなくて、お前のなにが小さいヨ」。彼女の兄貴がホモで困るとか、身の下相談ばかりであった。
さらにSONYのラジオウォークマンなるものを買って、図書館に籠もっている時もラジオを聴くようにした。 Sunny 93.9というSoft rock のFM局を必ず聞き流していた。 大好きなEagles**が良くかかった。 Less talk, Continuous musicと言ってBGMに都合が良かった。しかし、毎日聴いていても、誰の曲なのか、何という曲なのかは全く判らなかった。(:~_~:) 帰国してから、驚いたことにinternetでSunny 93.9をつい最近まで聴く事が出来た。実は、放送中は曲名も歌手の名前も言っていなかったのである。☆(`Д´メ)凸 幾ら聴いても判らないはずである。 その当時、毎日流れていた曲で、「ハルワー、ハルワー・・・」と歌う曲があったが、何で英語の歌で「春ワー」と歌うのかと気になって仕方なかった。

最近、LeAnn Rimesの「How Do I live⇒ハルワー, live」という曲であることがやっと判り、すっきりはしたが、私の英語耳は情けないない限りである。それでも帰国直前には、英国BBCと米国放送とは、全く別の音に聞こえるようになって、とても嬉しかった。 残念ながら、今は元に戻ってしまった。 (>_<)

* レジデント、フェローのための講義が毎日お昼にあった。 何と彼らがランチを食べている最中に、スタッフが講義するのであった。(時間の節約!)
**Eaglesの Hotel California の歌詞を辞書で引いて調べたが、意味不明で、フェローのPaulに相談したら、「ドラッグ(LSD)の世界だからだよ」と教えられた。甘美なHotel California、しかし “You can never leave” なるほど、歌詞内容に、合点、合点。
# Dr. Joy BrowneもSunny 93.9もネットで検索するとすぐにhomepageにたどり着く。

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