Ryuji's room / 放射線科専門医 佐志隆士

アメリカ留学記 ~艱難辛苦の米国留学~

-悲しかったり、楽しかったり、いじけたり、頑張ったり-

03 -たべものがマズイ-

“プロレス「監獄固めの」血風録”によると「米国に行ったことがある日本人は“たべものがマズイ。”というけれどそんなことはない。」と書いてあります。

私の感想は“本当にマズイ”です。

一部某放科前教授のように“美味しかった”という人もいるようですが、それは渡米前に劣悪な食生活をしていた人達であります。

米国の食べ物は、味より量で、味も甘いものは、徹底的に甘いというのが特徴です。繊細という概念はありません。私のように感性に優れた繊細な人間には耐えられない食べ物でありました。

フランス系、イタリア系、中華系の本来、繊細な味覚を持つ料理人も、味盲のアングロサクソンを相手に料理を作っているうちに堕落してしまうのでしょう。私の場合は、レストランのシステムが判らないのも苦痛でした。

病院のカフェテリアはbuffet形式で、色々ある食べ物を集めて、レジでお金を払うのですが、自分が食べたいものを適切な量、注文するのは至難の技です。揚げ句に、勇気をだして注文しても、手に入れた食べ物は、マズくて量が多いという拷問パターンです。

街のレストランでも事情は同じですし、チップの払い方が店によって違うのも苦痛でした。苦労した揚げ句が、拷問パターンでは耐えられません。

私は自ずと自炊の道を選びました。どうせ毎日が暇だったので、好きなものを作りました。食材は近所のスーパーにも豆腐とか“もやし”とかも売っていましたし、朝鮮系、中華系、日系の店も、足を伸ばせばありました。(日系の店は私が渡米する前に出来て、帰国後つぶれたそうです。(@_@))

最初に作ったのはカレーライスです。これが美味い!!美味しいものが出来ると誰かに、食べさせたくなります。一生懸命作ったものを“美味い”と言って食べて貰えれば、視床下部にβエンドルフィンがビュビューと吹き出すのでしょう。それ以前の、話し相手もいず、長い黙想状態からの 脱却です。

その内に毎週水曜と日曜日は料理を作り、富山の内科医の矢田先生、プータローのDuane が常連として来てくれるようになりました。矢田先生からは留学生がいかにDuke大学でサバイバルするかの情報を沢山仕入れることが出来ました。Duaneは英語と米国文化の先生になってくれました。

なんせ留学先は最高の放射線科診断学を学ぶ所であり、英語を学ぶ所ではありませんでしたから、随分とこれには救われました。職場のFellowのJohn Lee夫妻を数回招待したことで、John君には留学期間中、最後まで助けられました。

私は料理人になったおかげで、その後、矢田先生、Duaneという最高の運転手を手に入れて、アメリカが作りだした最高の文化の一つであるという高速道路を利用し、フロリダ、ワシントン、ニューヨーク、etc. へと出かけ、広い広いアメリカの乾いた空気を満喫したのでありました。

-どおしてもダシ巻き玉子が食べたい-

滞米中、お寿司屋さんの玉子焼きどうしても食べたくなった。

まずダシ巻き玉子用のフライパンは現地のTakiさんが譲ってくれるという。日本からとりよせた高価なものである。

神戸の母も、秋田の妻もダシ巻き玉子を作らないので、作り方を知らない。医局の秘書の五十嵐さんに頼んでレシピをfaxしてもらったが、?十年前の新婚時代のもので字がよく読めない。

それでも施行錯誤でなんとか作ってみる。本当は裏ごしをしないとダメらしいが、“まぁいぃや”と焼いてしまう。

豪華フライパンのおかげでなんとか焼ける。韓国製の本だしかつおを最初を使ったが、やはり花がつおでダシをとったほうが上手く焼ける。ダシが30%ほどの比率のところで落ち着く。食文化果つるのノースキャロライナでダシ巻き玉子を食べる何たる幸せ。♪ (⌒O⌒)♪

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