Ryuji's room / 放射線科専門医 佐志隆士

アメリカ留学記 ~艱難辛苦の米国留学~

-悲しかったり、楽しかったり、いじけたり、頑張ったり-

11 - Blueberry摘み -

私の右隣の女性がターキさんの娘のサッチャン。可愛くて、美人で優しい人。
私の左隣の女性がターキさん、左に佐藤ご夫妻。楽しい一日でした。

アメリカにいた13ヶ月で時間的に何を一番していたかというと

1:“肩関節のMRI ”という本の執筆、2: Skeletal radiology の学習(留学の名目)、3: 料理、4:英語の勉強(留学の名目)、5:E-mail書き・・・と言うところでしょうか?(注1.2.)。

今にして思えば無駄な時間が殆ど無く充実していました。日ごろ意志薄弱の私ですら米国では“大和魂”が湧出ていたと思われます。

友人で大学腎臓内科の涌井先生から、“留学の目的は生きて帰ること”とAdviceは貰らっていたのですが、“留学の成果を挙げるという欲”と“厳しい現実”とのGapで余裕がありませんでした。 “車の運転が下手”、“真面目に事務文書を読まない”というのが私を危険にさらす二大原因でありました。

そもそも留学の条件の中に“死体は本人負担で本国に送る”とかいう条項もあり、高額の保険に入ることが義務づけられていたのですが、英文で書かれていたこともあり 理解出来ずに保険にも入っていませんでした。

また車を運転するのにも保険に入る義務があるのですが、契約時に“ぺらぺら”と喋られ、分割払いの保険料を払わなければならないことを理解しておらず、保険料請求の手紙をjunkなdirect mailと勘違いしてすぐに期限切れになっていました。

これらの過失に気がついたのは帰国の4ヶ月前でした。この期間中、病気にもならず、交通事故にも遭わなかったことは、“運が良かった”という他はありません。今にして思うと薄氷を踏むような留学生活であった訳です。

一方、時間的には短いのですが、楽しい想い出もありました。ApartとWork placeを往復しているだけでは留学を楽しめないことは聞かされていたので、人からの誘いは全て乗る決心をしていました。

米国について1ヶ月も経たない7月末に、TakiさんからBlueberry摘みに誘われました。道案内をしてくれた白人男性は、私の“L”の発音が悪いと舌を持ち上げては指導してくれました。さてBlueberry 畑は無人で、机の上に1ドル/1ポンドと紙に書いてあります。

“計り”と“冷たい水が入ったクーラー”と“お金を入れる空き缶”が置いてありました。大らかなものです。私は、8ポンド摘みましたが、10ドル札を置いてきました。おつりをとる気にはなりませんでした。

“南部は黒人差別”という先入観があったのですが、実はノンビリしていて人が良いのが南部です。Blueberryは食べきれない量でしたが、後日Jamにしてワッフルに付けて留学期間中たっぷりと食べることが出来ました。

(注1.)留学中は私の人生の中で最も口数が少ない期間となりました。これは留学前には予想しなかった収穫です。人生を哲学する良い機会となりました。ですから“黙想”の時間が最も長かったというのが真実かもしれません。職場等の人間関係が殆どないと心が浄化されます。現在は元のドロドロです\(≧▽≦)/。

(注2.)メジカルビュー社との熾烈な交渉の末、教科書“肩関節のMRI”出版のOKを渡米直後に得ることが出来ました。執筆は必死でした。膨大な量の勉強もすることが出来ました。この仕事があったので、自由な身にありながらも“やる事が無い空虚さ”は皆無だった訳です。

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