Ryuji's room / 放射線科専門医 佐志隆士

アメリカ留学記 ~艱難辛苦の米国留学~

-悲しかったり、楽しかったり、いじけたり、頑張ったり-

05 “アメリカは左ハンドル”

通勤道路の写真

みなさん御存知のようにアメリカでは車は右側通行で、ハンドルは左にあります。頭の切り替えが上手くいかず、車の何方のドアから乗るのかとうとう米国を去るまで毎朝、迷い続けていました。

私が住んでいた所は、南部の田舎でとてものんびりしていました。信号が青になってもone, two, threeの間があってから発車します。一旦停止の交差点でも何時も私が先に行かせてもらいました。アパートと大学まで所要時間は20分程でしたが、緑の中の運転はとても、とても爽快でありました。臆病者の私は、この通学路しか運転出来ませんでした。ですから大学と近くのスーパー以外はどこにも行けませんでした。それでも頻繁に道に迷いました。そんな時は焦ってしばしば反対車線に入ってしまいました。のんびりした所ではありましたが、さすがに対向車はビックリしていました。

そんな生活が一ヶ月半程経過した頃、秋田の家族が夏休みを利用してノースキャロライナに遊びに来ることになりました。何もないダーラムの街ではつまらないだろうからと、隣のバージニア州のウィリアムズバーグという観光地に連れて行くことにしました。米国で最も古い入植者の町で日本でいえば“修学旅行で行く伊勢神宮”的な所であります。

まずはダーラム周辺の高速道路を走る練習をしました。高速道路と言っても、無料で料金所はありません。広大なアメリカですから隣の町に行くのも高速道路ですし、片側4車線なんていうのはざらにあります。

命がけの練習が終わり、“これで何処へでも行ける”と思った時、ふっと吸った空気があまりに美味しくて、“このアメリカでやっと自由になれた”とつくづく思いました。逆にその頃すでに、初期ノイローゼになっていたのであります。

モーテルを予約し、地図を買い込み、旅行の予習をしてのお父さん面目躍如のドライブ旅行です。旅行中も当然、道に迷って立ち往生していると、警官が来てくれました。夜中に人気の無い暗がりで警官がやって来た時は、私は大声で“Help me”と言いながら、心の中では“Don't shoot me!”と思っていました。大柄な警官は、私に銃を向けることもなく親切に道順を教えてくれました。くわばら!くわばら!

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