アメリカ留学記 ~艱難辛苦の米国留学~
-悲しかったり、楽しかったり、いじけたり、頑張ったり-
51 帰国までのカウントダウン
家族を日本に残しての米国留学であったので、ビザは3年間を1年に短縮して申請していて、本来6月末の帰国予定であった。しかし、だんだんとアメリカ暮らしも楽しめるようになって来ていたので、帰国するのがもったいなく思えて来た。ヘルムス教授は好きなだけいて良いとのこと、渡会教授は早く帰って来て欲しいとのこと。早く日本に帰りたいという気持ちも、内心強くあった。それで1ヶ月だけ滞在を延長することにした。(#1)
私以外のfellow達は7月から入れ替わる予定であった。親切なJohnはしきりに地元テキサスに遊びに来いと声をかけてくれたのだが、(#2) 本当に残念であったが断った。普通ならゆっくりアメリカ旅行をしたい所であった。"肩関節のMRI "の執筆は佳境を迎えていたし、Duane、矢田先生とNew York旅行、矢田先生とFlorid Key west旅行の予定もすでに入っていた。贅沢な話であった。
Durhamに来て、ターキさんに最初に言われたことは「アメリカに来て1年経つ頃にやっと生活に慣れて、帰国準備(relocation)が上手く出来るようになる」であった。要するに普通の日本人は1年間だけの留学で、本格的な勉強をしたり、業績を上げたりするのは無理だということである。1年間の留学では環境に慣れるのが精一杯。留学気分を味わい、五体満足に帰国できれば上等なのである。タフで英語力が無いと留学は楽しくない。精神気弱、体力虚弱の私が異国の地Durhamで、1年間もsurvivalできたのはHelms教授、 fellowのJohn、ターキさん、矢田先生、黒人青年Duane他、皆さんのおかげであった。私の人徳は勿論であるが、ツイていた。Udaさんのおかげで英語学習の準備はできていた。(#3)だが、やる気とlistening能力が無いと、飛び交う英語が全て雑音になってしまい、英語上達は望めない。もっとも、超一流のDuke大学で稼げる程の英語力は私には無かった。
ターキさんから教えて貰ったJapan express(日本人が対応してくれる)に電話をして、7月26日帰国のチケットを購入した。(#4) 帰国までの2ヶ月のカウントダウンが始まった。日本からの荷物は安い船便にしたために段ボールをカッターで切られて、ひどい目にあった。それゆえ今度は、信頼できるクロネコさんに引っ越し荷物をお願いすることにした。(#5) アトランタから中年の日本人男性が、大小の丈夫な段ボールを1ヶ月前に持って来てくれて、7月24日に集配に来てくれるとのことであった。それまでにゆっくり荷造りをすれば良いと親切に教えてくれた。アトランタのクロネコさんは、南部アメリカを巡回しているようである。世の中にはこんな風に暮らしている日本人もいるのだと感慨ひとしおであった。
それから、問題は日本への"お土産"である。あれこれ探してみたが、ロクなものは見つけられなかった。思案の末、夢のあるサクランボを米国から宅配で送ることにした。巨大サクランボは美味しいと好評であった。
さらに、電話、アパート、車の保険の解約、車の売却・・・と、やらなければならないことは沢山あった。航空券を買って帰国までのカウントダウンが始まったら、power downしていた大和魂が回復した。1日1日が、貴重で、充実していた。・・・・人生は日々カウントダウンである。
#1
Duke大学の留学者センターに相談に行くと1ヶ月の滞在延長ならビザは書き変えなくても良いと説明され、本当にホットした。書類事は大の苦手である。
#2
Johnは台湾出身で、小学生の時にアメリカに来たとのことである。英語がわからず、差別もあった私を陰になり日向になり助けてくれた。私にとって台湾は大変な友好国である。何かあればひと肌脱ぎたい。
#3
Udaさん:30音でマスターする英会話 http://www.uda30.com/
#4
帰国便のAmerican air lineはJALと提携をしていて、羽田-秋田便が無料サービスとなっていた。しかし、私はJAL秋田便の乗り継ぎに遅れてしまって、このドタバタで、成田で帰国の感動、喜びを満喫する予定が台無しになってしまった。
#5
帰国の際は、日本雑貨店『ハトヤ』で貰える無料口コミ新聞"U.Sフロントライン"に助けられた。アトランタのクロネコもジャンボサクランボもこの新聞の広告で見つけた。