Ryuji's room / 放射線科専門医 佐志隆士

アメリカ留学記 ~艱難辛苦の米国留学~

-悲しかったり、楽しかったり、いじけたり、頑張ったり-

35 アメリカ南部に大雪が降る

Scott 家の大晦日Count down partyを経て晴れて2000年となった。時差の関係で13時間、日本より遅れている。
西暦2000年問題では、流言飛語もあったが、たいしたことは何も無かったようである。
お正月なのでお雑煮を作ることにした。私の両親は長崎の出身で、我が家に独特のお雑煮がある。
このお雑煮は佐志家の人間である私のidentityともなっている。母が送ってくれた干しアゴ(飛び魚)でだしをとる。
このスープに白菜と焼いた丸餅を入れるのが佐志家風である。本当は、花鰹と柚があれば良いのだが無いので仕方ない。それから、大量におでんも作った。矢田先生、TakiさんとDuane,Takiさんの娘さんのSacchanと婚約者のDavid, Minakoさんと「連れのアメリカ人」を連日ディナーに招待した。

1月1日祝日(土曜日)でしたが、1月3日の月曜日からは普通に病院の仕事は始まった。日本のようにお正月気分というのはないらしい。
アメリカはクリスマス休暇が終わったら、通常勤務体制である。
次の土曜日には台湾出身のJohnがBar-B-Q 店(メキシコ風)に招待してくれた。お正月も一人だと寂しくてピンチかと思っていたが何のことは無い、半年経ったこの頃には友達も沢山出来ていて、日本にいる時よりにぎやかに過ごすことが出来た。私は一人で、ぼおーっとしているのが苦手である。
家族や職場の仲間から離れ、異国でお正月を単身で過ごす寂しさへの裏返しであったと思う。

1月25日朝起きたら、アパートの周りに、60cmも雪が積もっている。空は青空で晴天である。太いタイヤにチェーンを巻いた真っ赤な救急車が我が家の玄関のすぐそばに止まっている。病気になってもこの大雪では、普通の車はとても病院には行けないからであろう。
私が住んでいるNorth Carolinaの Durhamは南部の温暖な田舎町で、普通の人は、スノータイヤなどは持っていない。テレビ、ラジオで盛んに病院に職員や患者さんを運ぶための降雪に対応した大型の4輪駆動車を持っている人にボランティアを呼びかけている。
日本では経験しないことなので「アメリカ」らしさを感じて妙に感心した。交通事故も沢山あり、矢田先生、Minako先生のアパートは停電だという。雪が降ったのは半日だけだったが、寒波襲来ということで雪はいっこうに解けなかった。
私は潔く、病院には行かず、雪が解けるまでアパートで籠城することにした。英語で電話するのがおっくうなことと、私がいなくても誰も気にしないだろうと思ってDuke大学へは連絡しなかった。
雪が解けて5日ぶりにMedical centerに出かけたら、Helms教授と秘書のMirnnaに「どうして連絡を入れなかったのか!」と怒られたが、申し訳ない気持ちと心配してくれていたのだと嬉しかった。

* Sacchanは日本人とアメリカ人とのハーフであるがとてもきれいな人である。日本語は話せない。
婚約者のDavid はコンピューターを使ってデザインの仕事をしている。「ArtistとscientistはMacを使う」と言っていた。寡黙ではあるが、ユーモアがありDuaneからサイレント・コメディアンと言われていた。

* MinakoさんはDuke University Medical Center 放射線科唯一の日本人で、いろいろ教えてくれた。後に大親友になった矢田先生を我が家に連れて来てくれたものMinakoさんである。Minakoさんは可愛くて、スタイルも良く、ボーイフレンドに不自由しない。

* Bar-B-Q: Barbecue 米国南部で長時間かけて豚をまる焼きにした料理に始まる。直火で骨から肉が簡単にとれるほど柔らかくなるまでゆっくり焼く。
チェーン店らしき看板は見ていたが店に入ったのは初めてであった。Johnがわざわざ連れて行ってくれるだけのことはありとても美味しかった。

* アメリカの救急車は大きくて、派手である。昔の日本の戦闘機が地味だったのと比べて、アメリカの戦闘機がド派手なペイントをしていたことを思い出させる。
ワシントンDCのスミソニアン航空宇宙博物館に行くと沢山の昔の戦闘機も見ることが出来る。


外は大雪、アパートの前のQQ車にびっくり(@_@;)(@_@;)

アパートと言っても日本のアパートとは全く違って、ペンション村という感じです。
ラッセルして朝日に映えるアパートを撮影。

夕方になっても晴天、夕陽に映えるスイミングプールの柵です。
なんとプール付きの豪華アパートだったのです。

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