Ryuji's room / 放射線科専門医 佐志隆士

アメリカ留学記 ~艱難辛苦の米国留学~

-悲しかったり、楽しかったり、いじけたり、頑張ったり-

33 FloridaのOrlandoに行ったChristmas(4)

最初に乗ったローラー・コースター
どきどきしたが徐々に慣れた来た。
隣の矢田先生は最高点で万歳をする。
写真を撮った時は晴れて来ている

FloridaのOrlandoには、Universal Studiosのテーマ・パークが二つあったが、最終日は中国人ション一家の息子ジジの強い希望で、Islands of Adventureに行くことになった。
聞く所によるとジジの小学校ではIslands of Adventureの方が人気なのだそうだ。Islands of Adventureに開門とともに入園した。
Magic Kingdom の Space mountain と花火showとで、大満足した私は「帰りたい」というのが正直な気持ちであった。
それに曇り空で、例年になくFloridaとしては肌寒く、水しぶきを浴びる乗り物が幾つかあり、寒さが応えた。慣れている現地の人は雨がっぱを持っていた。
売り物のジュラシック・パークは実につまらなかった。
Islands of Adventureでは、様々な種類のroller coasterに乗った。
私は成人してからは、地位と財産と名声のためか、高所恐怖症になっていたが、貪欲な矢田先生から「先生、乗りましょうヨ!」と誘われて、夢遊病者のようにroller coasterに次から次と乗ることになった。 起立した状態で回転するもの、ぶら下がった状態で回転するもの、垂直に飛び出すもの、ありとあらゆるroller coasterに乗った。
感覚が麻痺したのか、恐怖感は感じなかったが、面白くもなかった。ただ、スパイダーマンのアトラクションは室内型のshowで、随分と待たされることになってしまったが、これが意外というか、興奮してとても楽しかった。当初は閉園まで遊ぶつもりでいたが、夕方ション一家と合流したら、Durhamに帰ろうということになった。遊ぶのにも限度と言うものがある。皆疲れていたのである。全員でBurger Kingで軽く夕食を取った。Orlandoの市街は交通量も多く、運動神経が良い矢田先生が運転をしてくれた。
Interstate Systemに乗ってから、運転はションに変わり、私がnavigator役になった。
ションとの会話は、当然、英語であったが、外国語で話しているという意識は無かった。日中友好に貢献することが出来たと思う。ションと運転を交代した途端に矢田先生は爆睡している。まるで雑巾のようであった。Tough guy矢田先生も疲労の極地に達していたのであろう。留学生特有の貪欲さだけで遊んでいたのに違いない。OrlandoからDurhamまでの帰路は少なくても9時間はかかる予定である。ションは、私よりは、運転が上手く、矢田先生より下手であった。
私はションが眠らないようにと話しかけ続けていたが、段々反応が悪くなって来ていた。すると車がライトを点けて右側(※)に停止しているトラックの方へ吸い寄せられて行く、「ション、ション」大声で私は叫んで、ションが正気にもどった。ションは“I’m OK.”と言っている。車はbrakeを踏まない限り、定速で走行する仕組みになっている。我々5人が乗っているTaurusが、再度、停車中のトラックに吸い寄せられて行ったので、私はションと運転を交代することにした。
正直、「死にたくない」と思った。運転を代わると、私以外全員が爆睡状態になった。夜が白んで来る頃、Durhamに戻ることが出来たが、実は私の意識も朦朧としていた。24時間一睡もしていなかった。
矢田先生、ション一家を送り届けてから、命からがら、帰宅して、つくづく嬉しかった。米国でのアパートではあったが、ここが我が家だと痛感した。私は、生きていることを感謝して入浴した、そしてすぐに爆睡した。私が眠っている間、矢田先生とションはDonのCrazy laboに出勤して実験をしていたらしい。狂気の沙汰である。狂気のChristmas holidaysではあったが、矢田先生、ション一家には感謝したい。
※米国の車は、右側通行、steeringは左。

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