Ryuji's room / 放射線科専門医 佐志隆士

アメリカ留学記 ~艱難辛苦の米国留学~

-悲しかったり、楽しかったり、いじけたり、頑張ったり-

28 Chicagoに行く

11月末から五日間、毎年Chicagoで北米放射線学会が開催されます。

全世界から6万人も参加する大きな学会です。

放射線科ではCT、MRI等の高額医療器械を扱うので、各装置メーカーも気合いを入れて参加するので学会も巨大化します。米国に来る前に日本から提出していた演題が合格していたので、私は堂々とChicagoに行く事になりました。

演題の採択率は3割程なので、Duke大学のレジデントも簡単には行かして貰えません。日本からChicagoへは何度も行った経験がありましたが、米国内での飛行機を使っての旅行は初めてでした。

Durhamからの米国内への移動は高速道路か飛行機を使い、列車利用は聞いたことがありません。Duaneによれば、飛行機が使えるのはお金持ちだけとのことでした。

ところで、私が宿泊を予約していたChicagoのBlackstone hotelが安全上の理由で閉鎖されたとのことで、Holiday Inn O’Hareを代わりに用意するとの連絡がありました(@_@)。このhotelはO’Hare空港近くにあり、学会会場からもdowntown*からも遠く離れており、あまりに不便なので、cancelしました。

それで秋田の医局から来る泉先生が予約していたHoliday Inn Chicagoに転がり込むことにしました。米国のホテルは部屋を貸しているという意識があり、人が転がり込むことには無頓着です。あらかじめhotelにrollaway bedを用意しておいてくれてと頼んでおいて事無きを得ました。この頃には軟弱な私もtoughになり、電話やE-mailでcancelや変更が出来るようになっていました。

ところで学会発表のスライド作成をDuke大学のphotocenterに頼んでいたのですが、「出来ていない」と秘書のMirjana**に言われてしまいました(> <)。

米国のパソコンはZipなる保存媒体を使っているのに、私が日本式のMO(光磁気ディスク)で提出したためでした。

すった、もんだの末、学会出発直前に発表スライドが何とか完成して、薄氷を踏む思いでした。

Chicagoでは日本からの参加者との再会が楽しみでした。日本を離れて、まだ半年しか経っていないのにとても嬉しいのです。米国に来てからは黙想状態が続いていたからです。

泉先生に頼んでいたCD***、如何わしい本やvideoだけでなく、他の差し入れも運んで来てくれました。おそらく差し入れをくれた人達の想像をはるかに越えて、私は感謝をしていました。

*Downtown: 繁華街、町の中心

**気さくで親切な秘書さんでした。私宛の手紙、小包みは彼女の所に届くので、一日一回は必ず顔を出していました.

***差し入れに頼んだものにキャンディーズの春一番CD(平安名先生編集,大谷先生製作)があります。長い浪人生活の末にやっと合格して、秋田に来た時に、 [雪がとけて,川になって流れて行きます。もうすぐ春~ですね、・・・・・]という歌詞が、雪国でしか判らない気持ちであることを痛感しました。それで春一番は私にとって大切な曲だったのです。

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