Ryuji's room / 放射線科専門医 佐志隆士

アメリカ留学記 ~艱難辛苦の米国留学~

-悲しかったり、楽しかったり、いじけたり、頑張ったり-

18 戦艦ノースキャロライナ

留学して二ヶ月が過ぎた8月の末、ターキさんに一泊二日の海辺への旅行に誘われました。

目的地のKure BeachはNorth Carolinaの大西洋岸側の岬の先にあり、我々が住んでいた内陸のDurham とは265km程離れており、車で4時間ほどでした。米国で生活を始めるに当たり、私同様にターキさんのお世話になった家族が数組いて、全員誘われたようでしたが、この呼びかけに応じたのは私だけでした。他の人達は自立して遊べるようになっていたからです。

参加者はターキさんとインテリ・プータロー黒人青年Duaneと私との三人だけでした。Duaneも乗り気がしないようで遅れてやって来て、目的地に着いたのは夕方でした。ハリケーンが近づいているというので宿泊客も少く、ターキさんが値引き交渉をしてSea KnightsというInn(宿)に泊まることになりました。海水浴客や釣り客が泊まり、炊飯が出来る小さなInnです。

とにかくターキさんの英語交渉力は凄いのですが、英語力というよりは我を通すというものでした。私は、せっかくの旅行なので美味しいものを食べたかったのですが、Innでインスタントラーメンを作っての夕食となり、私も半分腐っていました。米国のインスタントラーメンは安いのですが、日本人にはとてもまずく、味覚自体が違うということを痛感しました。

参加者が少なかったためか、ターキさんは機嫌が悪く、海同様に荒れ模様でした。ターキさんがデザートにリンゴを剥いてくれたのですが、私が“No need.”というと、彼女が急に失礼だと怒りだしました。私は“No thank you.”の方が失礼だと思っていたので、困惑してしまいました。言語をnuanceまで理解することは難しいことですが、外国人が何時かは突き当たる壁だと思います。

翌日は、Duaneと二人で近くの港町Wilmingtonまで戦艦ノースキャロライナを観に行きました。第二次世界大戦の時に日本と戦った戦艦です。 日本と違って戦勝国の米国は歴史的兵器を保存しているわけです。9ドルも払って日本を打ち負かした戦艦なんてくだらないと最初は思ったのですが、いざ見学してみると、その当時の米兵のありさまが生き生きと伝わって来ました。2000人以上を収容し、小さな町ほどの機能を持ち合わせる大戦艦ですが、生活空間はとても狭く、居心地は最低に思われました。下級兵の寝床はまさしく蚕棚でした。

日本に勝った米軍もこのような劣悪な環境に耐えていたのだと感慨深いものがありました。Duaneに「これを見たら、誰も戦争に行きたがらないね」と言ったところ、「いや違う、これを見て戦争に行きたいと思う若者がいるんだ。男の世界ね。」と言います。国のために自分を犠牲にすることを嫌だと考えている日本人が多いとすれば、戦争までして日本の国を守ることは至難の技かと思われます。

複雑な心境で宿のSea knightsに戻ると、岬全体がハリケーンのために「Evacuation:避難」になったと言うことで強制退去させられました。この時の印象が強烈だったのでevacuationという単語は一発で覚えることが出来ました。

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