Ryuji's room / 放射線科専門医 佐志隆士

アメリカ留学記 ~艱難辛苦の米国留学~

-悲しかったり、楽しかったり、いじけたり、頑張ったり-

17 ビジネススクール

帰国のために机の中を整理していたら、アパートの前住人のSさんの手紙が出てきました。

「Durhamの第一印象は如何でしょうか?もし何かありましたならば、以下の連絡先までお電話なりよろしくお願いします。ー中略ー Durhamでの生活が佐志先生にとって実り多きものであることを願っております。PS. 調味料、洗剤、米、食品はよろしかったらお使いください。車の左後タイヤの近辺にマグネットケース(家のKey入り)があります。99年5月S」

入居した時は、手紙に気付かなかったので驚きました。Sさんというのは、Duke大学のビジネススクールに留学していた人で、日本の某社から派遣された人とのことでした。ターキさんの紹介で、Sさんのアパートと家財道具一式と車とを私が引き継いだのでした。

Sさんは、私と入れ違いで帰国したの で一度も会ったことはありません。あまたあるビジネススクールの中でもDuke大学のそれはランキング7位(1999年)とのことで、Duke大学のビジネススクール(2年間)に留学している人達は超エリートです。ターキさんに紹介された他のビジネススクールの人達も、皆さん一流企業から十分な経費を貰って来ているので経済的には優雅な生活をしていました。米国人に混じって、discussionが主体の少人数でのグループ学習は、本当に大変とのことでしたが、夏休みとかは3ヶ月半とたっぷりあって、何故か必ず奥様は美人で、一緒にアメリカ大陸横断のドライブとかを皆さんなさっており、とても羨ましく思いました。

ビジネススクールの勉強は大変とはいえ、MBA(Master of Business Administration:経営学修士)なるものをほぼ全員が修得出来るのだそうです。落ちこぼれを出さない事もグループ学習の目標であるからです。出世の切符であるMBAを“ゲット”したら、派遣してくれた会社を辞める人も多いとのことです。自分を高く評価して貰うことも米国で学ぶからだと思われます。私が入居した時、残っていた留守番電話にはSさんに対するリクルートの伝言がそのまま残されていました。

Sさんに譲って貰った車は黒のニッサン・スタンザでした。このスタンザは、10年近く、15万キロは走っていたので日本では屑鉄扱いのような車でしたが、13ヶ月の間のトラブルはバッテリーが壊れたくらでいした。車のエンジンがかからなくなくなったのは幸運にも私のアパート敷地内に戻った時でした。車に強い友人のDuaneに電話をしたら、すぐに来てくれて、バッテリーを取り換えて直してくれました。 記憶が定かではありませんが、私はこのスタンザをSさんから4000ドル程で譲って貰い、帰国する時は、3000ドル程でターキさんに買って貰いました。

「Sさんは独身なのに何故に、調味料、食器がこんなに揃っているのか?」とターキさんに聞いたところ、母上が来て揃えていったとのことでした。今回、お礼も兼ねて上記の番号に電話を入れたところ、この母上が電話に出られ、 Sさんは外資系の会社に転職し、現在は大阪で元気にお勤めとのことでした。こんな訳で私は運と色々な人に助けられてナントカカントカ米国で暮らしていました。ーつづくー

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