アメリカ留学記 ~艱難辛苦の米国留学~
-悲しかったり、楽しかったり、いじけたり、頑張ったり-
16 「アメリカから10年遅れている日本・・・」
アパートに落ち着いて間も無い頃、テレビをつけるとジョン. F. ケネディの息子の操縦する自家用飛行機が遭難したニュースが頻繁に流れはじめた。最初は何だか判らなかったが、毎日一日中放送しているので内容が何となく理解出来るようになった。従妹の結婚式にいくための飛行で、奥さんと奥さんの姉の3人が亡くなってしまったのである。1999年7月17日のことである。
私がビックリしたのは、ほぼ一週間ぶっ通しこの事故のことを報道している事であった。米国人の故ケネディに対する敬愛が我々日本人の想像を絶するものであることが良く判った。“国民感情”の違いを肌で感じることが出来た。
丁度、同じ7月に「フロリダ集団裁判」なるものでタバコ会社に15兆円の賠償金を求める判決が出た。ラジオのアナウンサーがタバコ会社を狂ったように罵っていた。身を守るための“銃”は良いがタバコはダメという論理に米国の集団ヒステリーを感じた。米国は時々“集団ヒステリー”になるのである。1919年から1933年の“禁酒法”で失敗しているのに反省が無いのである。
ところで、米国に発つ時、成田空港で機内で読むために日本語版プレイボーイを買って行っていたのだが、米国のアパートまで持ち込んで隅から隅まで繰り返し読んだ。ヌードが“和風”でないことを後悔していたが、このプレイボーイにはケネディ暗殺の特集があり、巨悪タバコ産業が関係している可能性が示唆されていた。どうやら米国人のタバコへの憎しみには“巨悪タバコ産業”も関係しているようである。実際、巨悪であったらしい。
私が留学していたDuke大学は紙まきタバコを作り大金持ちになったジェームス・デューク(1856~1925)によって創設された大学である。 デュークさんは慈善活動家ということになっており、巨悪とは無関係であったと思いたい。
“日本”の嫌煙、Sextial harrasment、Varrier free、Genderless、etc・・・もアメリカから10年程遅れて始まっているが、“アメリカ社会の病根”を理解せずに表面だけを真似ている。日本の似非文化人が“日本は米国から10年遅れている”といったりするが盲目に追従することの方が間違っていると私は思う。
秋田でも莫大な税金をかけて利用されることないVarrier freeの地下歩道橋を作っている。アメリカは太平洋戦争で勝利した後も戦争を続けているために、傷痍軍人が沢山いて Varrier freeはお国のために戦った人達への当然の義務だと受け入れられている。イラクへ派兵された自衛官は無事帰って来てもらいたいが、派兵しないで済めばそれに越したことはない。現在、傷痍軍人が皆無に近い日本は決してアメリカに10年遅れている訳ではない。
アルカイダのオサマビン・ラディン氏は湾岸戦争時、タンクトップ姿の米軍女兵士がサウジアラビアの地に足を踏み入れたことに激怒してテロリストへの活動を始めたという。イスラムの“国民感情”を逆なでにしてGenderlessという愚かな米国のidealismをアラブの地で見せつける必要は無かった。
米国のGenderlessの風潮に乗ってナース・キャップを廃止する日本の病院も多いが私は悲しい。もっともキャップfreeで“楽”になる気持は良く理解出来る。福岡の保険金殺人を犯した元看護“師”ら4人は良心を棄てるにあたり、その象徴であるナース・キャプを全員で焼いたとのことである。