Ryuji's room / 放射線科専門医 佐志隆士

アメリカ留学記 ~艱難辛苦の米国留学~

-悲しかったり、楽しかったり、いじけたり、頑張ったり-

06 米国独立記念日

独立記念日の写真。
日本人は私を除けば、Duke大学のビジネススクールの学生と奥様方達。
ビジネススクールの学生さん達は企業から高給を貰っている。何故か、全員美人の奥様がいてアメリカを満喫する。

私が留学していたDurhamは North Carolina州にあります。・・と言っても誰も判りませんね、 私も全く知らなかった 。

North CarolinaはNew YorkとFloridaの間の東海岸に在ります。 アメリカ南部です。この南部というのは、要するに南北戦争の時に、南軍側であったということです。

Durhamはたばこ産業の街だったのですが、アメリカのたばこ産業に対する魔女狩りのためかさびれています。このたばこで大もうけした人が作ったのが私が留学していたDuke大学です。

Durhamは黒人の多い街で、映画”コレクター”の舞台になったほど森の深い所であります。

6月の末にDurhamに着いて、在米中ずっとお世話になるTakiさんのお家に1週間ほど泊めて貰い、アパートに移る準備をしました。まずSocial security 番号を貰い、電気水道、電話、不動産屋、車の保険、銀行の加入、車の購入・・・とっても大変です。習慣、言語が違う国で生活の基盤を作ることは艱難辛苦の至難の業です。留学経験者の言葉として、良く耳にしたのは”最初の6ヶ月は何が何だか判らない。”、”帰国するころにやっと慣れて、帰国の準備が上手に出来る。”であります。Takiさんは日本人ですが、ずーっとDurhamに住み、留学生の世話とかも有料でしている方です。最初の面倒な部分の大半を私が米国につく前に、Takiさんが済ませていてくれていたのです。

世間一般のタフで欲深い留学生ならともかく、私のように謙虚で慎ましい人間には、もとより留学する資格などは本当は無かったのですが、Takiさんのおかげでなんとかなった次第です。またTakiさんからは沢山の日本人、米国人の友達を紹介して貰いました。

さてまだTakiさんの家に宿泊している時、7月4日の米国独立記念日を迎えました。町内会の皆(犬も)が星条旗や風船やらを持って、町内の通りを行進して、町内の公園で、国歌を歌い、それぞれの家庭から自慢の食べ物を持ちよりパーティをしました。○×爺さんのレモネードとかです。とても暑かったのですが、消防車がどこからともなく現れて、空に向かって、噴水して、出来た虹がキレイで子供たちや犬がはしゃいでいました。子供から大人まで、素直に愛国心を表現出来ることを羨ましく思いました。

しかし、ふと気がつくと黒人の人は誰もいませんでした。夜は大学のフットボール・スタジアムで花火大会があり、音楽に合わせて、打ち上げらる花火が素晴らしく、これからの米国での生活へのと期待と不安をもって観賞しました。米国に着いて数日後のことでしたが、カルチャーショックの始まりでありました。

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