Ryuji's room / 放射線科専門医 佐志隆士

アメリカ留学記 ~艱難辛苦の米国留学~

-悲しかったり、楽しかったり、いじけたり、頑張ったり-

00 -米国にたどりつくまで-

一度は留学をしてみたいと思うのは大学人にとって当然の感情かと思われます。

私も何年間も英語を勉強させられて、“これで米国に行かないのはもったいない”と思っていました。しかし、バブル全盛の頃から行きはじめた“真冬のシカゴ”での米国人のよそよそしい態度に、こんな“冷たい国”なら留学して暮らすのは嫌だと思うようになっていました。その当時の日本人はとくに嫌われていたと思います。

現在は米国経済は絶好調で、日本はその逆、留学は今がチャンスです。

[偶然]2が重なり、“棚から牡丹餅”のようにノースキャロライナ、ダーラムにあるDuke大学の放射線科、骨部門への留学が決まりました。親分であるHelms教授からE-mailでOKが出たのが12月、米国にたどりついたのは6月末です。

半年の準備期間は長いようであっという間です。ビザを手にしたのは出発前ギリギリでした。この艱難辛苦の事務手続きのほかに、“英語力”をつけることと骨軟部放射線診断学の“学習力”をつけることが私にとって半年間での急務でした。“付け焼き刃”かと思われるでしょうが、もしこの急務を怠っていたら、[艱難辛苦]2 状態になっていたことに間違いありません。

Duke大学放射線科研修医になるための競争率は50倍、骨セクションで専門医研修をするための競争率20倍という、米国人医師でも立っているだけでも辛そうな処へ、私は勉強しに行ってしまったのです。

“米国に行けば自然に英語が上手くなる”というのは嘘で、“英語のシャワーは全て雑音”、“英語が判らないことに慣れる”だけだそうです。これでは放射線診断学の勉強どころではありません。

インターネットで知った、房総の田舎に住む英語発音専門家の鵜田さんの所に英語発音のトレーニングに行きました。ここで得たアイテムは“諦めない勇気”です。鵜田さんのホームページ“30音でマスターする英会話”では若い頃の鵜田さんが艱難辛苦の末に発音をマスターする過程が述べられています。

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